2011年04月14日
Mishima Yukio
三島由紀夫
S さんよりプレゼントしていただいた
横山郁代著 『三島由紀夫の来た夏』 よりご紹介
" 母 倭文重(しずえ)さんは愛する息子の死の理由を
確かめたい一心で大学で仏教学を学ばれた。

残された日々を静かに思い出を巡らせながら
平穏に過ごされたらいいのに さすがに教育者の
娘さんの決断だと私は深く尊敬をしている。

晩年の三島さんは仏教にのめり込んでいた。
『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』には
仏教哲学が深く盛り込まれている。

特に時空を飛び越え聖なるものと不浄なものが
合体しているベナレスの描写を読むと
三島さんの感動が伝わってくるようだ。

昭和45年7月7日のサンケイ新聞に掲載された
「果たし得てゐない約束―私の中の25年」は
三島さんの遺書としてたびたび引用される。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行つたら『日本』はなくなつて
しまふのではないかといふ感を日ましに深くする。

日本はなくなつて その代わりに
無機的な からっぽな ニュートラルな
中間色の富裕な 抜目がない 或る経済的大国が
極東の一角に残るのであらう。」 "

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
私は歴史もの(中国史)が好きで
戦後の日本文学を代表する一人である
三島由紀夫さんの文学は
あまりわからないので恥かしいかぎりですが
人間 三島由紀夫として興味深く読ませていただきました。

わが国を憂う気持ちや指摘は理解しますが
自衛隊の決起・クーデーターとの“力の論理”でなく
文学を通して言論闘争との選択をして欲しかったと思います。

三島由紀夫さんが自決して昨年で40年
1964(昭和39)年から7年間の夏を下田で過ごし
著者(横山郁代さん)との出会いや想い出が綴られています。

三島さんの気さくで優しいお人柄など
素顔の一部分を知ることができたと思います。
あらためてSさんに感謝します。ありがとうございました。
作家・劇作家 三島由紀夫の名言
「崇高なものが現代では無力で 滑稽なものにだけ野蛮な力がある。」



駐車場ご案内
S さんよりプレゼントしていただいた
横山郁代著 『三島由紀夫の来た夏』 よりご紹介
" 母 倭文重(しずえ)さんは愛する息子の死の理由を
確かめたい一心で大学で仏教学を学ばれた。

残された日々を静かに思い出を巡らせながら
平穏に過ごされたらいいのに さすがに教育者の
娘さんの決断だと私は深く尊敬をしている。

晩年の三島さんは仏教にのめり込んでいた。
『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』には
仏教哲学が深く盛り込まれている。

特に時空を飛び越え聖なるものと不浄なものが
合体しているベナレスの描写を読むと
三島さんの感動が伝わってくるようだ。

昭和45年7月7日のサンケイ新聞に掲載された
「果たし得てゐない約束―私の中の25年」は
三島さんの遺書としてたびたび引用される。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行つたら『日本』はなくなつて
しまふのではないかといふ感を日ましに深くする。

日本はなくなつて その代わりに
無機的な からっぽな ニュートラルな
中間色の富裕な 抜目がない 或る経済的大国が
極東の一角に残るのであらう。」 "

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
私は歴史もの(中国史)が好きで
戦後の日本文学を代表する一人である
三島由紀夫さんの文学は
あまりわからないので恥かしいかぎりですが
人間 三島由紀夫として興味深く読ませていただきました。

わが国を憂う気持ちや指摘は理解しますが
自衛隊の決起・クーデーターとの“力の論理”でなく
文学を通して言論闘争との選択をして欲しかったと思います。

三島由紀夫さんが自決して昨年で40年
1964(昭和39)年から7年間の夏を下田で過ごし
著者(横山郁代さん)との出会いや想い出が綴られています。

三島さんの気さくで優しいお人柄など
素顔の一部分を知ることができたと思います。
あらためてSさんに感謝します。ありがとうございました。
作家・劇作家 三島由紀夫の名言
「崇高なものが現代では無力で 滑稽なものにだけ野蛮な力がある。」


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Posted by Leaf at 12:00│Comments(0)
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